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日記 definitive

2026.09.23

2026.06.17(WED)

●Hiroshi Ebina『Into the Darkness of the Night』(2024)

●昨日見た夢。保坂和志の文庫本を読んでて、その文庫本は最初に目次があって、80Pくらいにまた目次が現れる。起きてすぐ書いたメモの表現を借りると「各文が主体をどんどん打ち消す」ようでものすごく面白かった。場面が変わって、下り坂をスケボーに座って目隠しをしながら下る。

●東浩紀の配信のダイジェスト(切り抜き)で、フィリップ・K・ディックについて文章を書かないんですか?みたいな質問に対して「僕が生きているうちには書かないだろうね」というようなことを言っていた。同じ意味で「死ぬまでに〇〇できない」というのもあって、こういう表現は珍しくないけど、そのとき「死んだあとは書くのか!」と思った。
これは揚げ足取りじゃなくて、「生きているうちに/死ぬまでに」という表現に死によって終わらない〈生〉の時間?みたいなものを感じた。

●展開が多い、カタルシス的に高音のボーカルのパートがある、ラップとは別種の「早口」の歌唱がある。という要素が今のJ-POPに多いのは、明らかにボカロの楽曲を聴いて来た人が影響を受けているからだと思うのだが(特に後ろの二つはボカロの機能としての「強み」からきている)、一方で、J-POPの歴史や影響関係を語るときにボカロは「傍流」として扱われている気がする。これはアニソンやMADなどネットカルチャー(というかニコニコ動画)で流行った音楽に共通して言えると思う。
で、その原因?は、それらのネットカルチャー系の音楽が好きな人と、J-POPの歴史を語ったりするような「音楽クラスタ」的な人がオーバーラップしていないことだと思う。(それか本当はみんな聴いていたが「黒歴史」として封印している?)あと、ボカロを聴き方に、この曲の影響元を聴いてみようという発想はあんまりない、とかも。めちゃくちゃ乱暴にいうとボカロ好きな人はボカロだけが好きな人が多くて、音楽一般?が好きという感じの人が当時は少なかったイメージ。ごめんなさい。私もボカロ好きでしたが。

少し違う話だけど、みのミュージックのみのが邦楽史の本を書くときにV系の勉強をしようと思ったら、V系の参照できる資料が少なく、あってもいわゆる「批評的」な文章じゃなくて困った、というようなことを言っていたが、ジャンルによってそういうところのマナーまで違う、というのは結構面白いと思う。(例えば、オールドロックが好きな人は「名盤ランキング」みたいのと親和性が高くて、「このアルバムは必聴」みたいな教養主義?的な面があるとか。私のことですが。対照的にクラブ・ミュージック系でそういうノリは少ないと思う。)

Profile
滝鷹介 Taki Yosuke

1997年神奈川県生まれ。小説家。POLY LIFE STUDIOを主宰する。

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(ほぼ)毎日更新。各回のサムネと1行目は、サブスクで新しいアルバムを聴くのは1日1枚までという自分ルールのもとでその日に選ばれたアルバム。

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