2026.06.22(MON)
●ミツメ『Ⅵ』(2021)
●毎日行うルーティンのようなものがあると、生活リズムや心身の不調、単純に忙しいことなどによって、ルーティンが(不十分にしか)できないという形で、「良好」な生活との差異を感じやすい。最近忙しくて寝る前のヨガができていない、という風に。特にルーティンというもの(少なくとも意識)がない人にとっては、理想の生活がまずあって、それを「準備」するためにルーティンがあると思われるかもしれないが(つまり、忙しくてルーティンができないことは「良好」な生活を迎える「準備不足」の状態であると)、大体のルーティンがある人の感覚はもうちょっと微妙なものではないか。つまり、ルーティンが単なる手段であると同時に目的でもあるというような。
ルーティンのその後の生活という「本番」に向けての手段としてだけヨガを行っているのではなくて、ヨガそれ自体歓びがあり目的である。それはまあ理解しやすいと思うのだが、これはルーティンができない状況になると事態は変わってくる。多忙で疲れて寝る前にヨガができないというとき、例えば「ヨガやった方がいいけど疲れた、、、」と感じたとする。でも、疲れて眠い身体で無理にヨガという軽い運動をすること自体が「健康」であるかはわからないし(少なくとも素朴な快/不快で言えばすぐ寝てしまった方が快だろう)、というかそれどころかその状態では面倒くさくてやりたくないことですらある。それでも「ヨガをやった方がいい」と思うのは、今言ったような怠惰?を我慢して実行した先のヨガそれ自体の歓びを求めているとは思えないし、だからと言って、もっと全面的に「ヨガをつつがなくできている理想的な生活全般」を希求していると言ってしまうのも飛躍であるように思う。その間とか、間でもない違う軸?に生活とかルーティンとかで考えてみるべき何かがあるように思う。
●最初に言おうと思ったのは、分かりやすい身体的なルーティンもそうだが、毎日新しいアルバムを一枚聞くというのが数日滞っていることや、日記を書き始めてから、ふと思いついた思考の断片みたいなものをiPhoneのメモに書き溜めているのだが、そのメモが同じくここ数日ほぼ空っぽということだった。でも、書いていて思ったが、土曜に友だちとあって日曜が二日酔いで月火はバイトだから、単純に暇がなかったということなだけでもある。
ただそこで思うのは、私が「現実」が充実していたら、つまり恋人がいるというような意味ではなく広義でのリア充だったら、このような(新しい音楽をディグるとか日記を書くとか)割と「孤独」なことに時間をかけたりしないのかもしれないとはいつも思う。ただこれは見栄というよりはその友だちらとの信頼関係において?いうが、大切な友だちは何人もいる。が、主に私のお金がないことによってあんまりあえていないという外的?要因もある。私はいつも「もう少しお金があったら、友だち(のそれぞれ)と毎月でも飲みに行くのに」と言っている(実際はもっと会えていない)。
と言いつつ、私は予定が詰まってくると心身ともに体調を崩しやすいので、それは現実的ではないのかもしれない。
●テレビで、AIでイチゴを栽培するみたいな取材をやっていた。ビルの中で日光が当たらず人口の真っ白い光を当てられて、ラックにいちごが整列して栽培されて、温度管理や(普通はミツバチが行い、雨が続くときは人の手で行うこともある)受粉も自動で動く機械が行う。今は収穫は人の手で行っているが、試作中のロボットが実用化すれば、全てがロボットで完結するという。
保守的で旧時代的な意見かもしれないがそれを見て「自然への冒涜だろ」と素朴に思った。(むしろ自分のその一面があるのが面白かった。いやでも私は植物と動物が好きなのだ。)植物に日の光を当ててあげたい、というのは時代錯誤の慣習?だろうか。私たちの多くは(もちろんベジタリアンやヴィーガンの人はいる)食肉をやめられないが、一方で家畜の扱いが倫理的でない(と判断する)と反感を覚える。それはある一面では矛盾かもしれないが、一方でフォアグラのためのガチョウやアヒルの飼育方法や、非常に狭い範囲に密集して飼育される鶏などと、広い土地に放牧された家畜とでは、動物たちの生きる歓びにおいて確実に差異があると言っていいと思う。(ここでは疑似科学化された「ストレス」という概念は使わない。)まさか誰だって「口に入れば/食卓に並べば/スーパーにならべば全て一緒だ・過程は関係ない」というような「合理主義」的な極論は言わないだろう。
「自然への冒涜だろ」という考えが浮かんだときにすぐに思い出したのは、宮崎駿があるCGアニメに対して「生命に対する侮辱を感じる」と言った有名な映像だった。
https://www.j-cast.com/2016/11/14283398.html
私はこれを知った・見たとき、旧世代的な頑固さとは全く思わず、雑な言い方しかできないがこういうことをちゃんと考えないといけないと思った。