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日記 definitive

2026.09.23

2026.06.02(TUE)

●The Vernon Spring(UK)『A Plane Over Woods』(2021)

●バイト先で、前に書いたInsense Recordsのやつちょっとダサいよねという話になった、やっぱそうっすよね。

●国旗損壊罪がキモすぎるので、もし成立したら真っ先に燃やしたい。

●ニュースで高市が、皇族の伝統をすごく誇らしげに言っていた。こんなことみんな言ってるだろうけど、皇位何代と由緒正しく綿々と続く……というレトリック?って完全に戦前の国威啓発と一緒だろ。天皇制については浅田彰の言うことがいい感じだ。

そこで、この場を借りて原則を確認しておけば、私はもちろん天皇制も元号も廃止すべきだと考えている。理由はきわめて単純で、近代民主主義国家はすべての国民が生まれつき平等であるという原則に基づいているのだから、ある一族のメンバーが世襲で元首に――あるいは元首でないにせよ「象徴」になるというのはおかしい。むろん、世界には民主主義国家でありながら立憲君主制を残している国も多いが、君主の名の下に行った戦争の結果として国が危うくなるほどの敗北を喫した場合は、第一次世界大戦後のドイツのように君主が退位し君主制から共和制に替わるのが当たり前だろう。そのときのドイツ以上の壊滅的敗北を喫した第二次世界大戦後の日本でも、天皇制廃止を求める声は左翼を中心にかなりの広がりを見せたし、右翼の側でも天皇制の存続(「国体の護持」)のためにこそ昭和天皇は戦争の責任をとって退位すべきだという議論があった。それが実現しなかった原因はいろいろあるが、最大の要因はアメリカを中心とする占領軍の意向だろう。日本に負けるおそれはまったく感じていなかったものの、日本軍の自殺攻撃に最後まで悩まされたアメリカは、敗戦後の日本の徹底的な武装解除のため戦争放棄・戦力不保持を定めた「平和憲法」を押し付ける(そして、ジョン・ダワーの表現を借りるなら、「敗北を抱きしめた」日本国民は押し付けられた「平和憲法」をも「抱きしめる」ことになる)と同時に、日本国民を宥めるため、また来るべき冷戦において日本が社会主義圏に接近するのを防ぐために、連合国のいくつかの反対にもかかわらず、昭和天皇と天皇制を温存することにした(この深慮遠謀に比べ、イラク戦争のとき独裁者サダム・フセイン大統領を倒せばイラク国民から解放者として歓迎されるだろうと思い込み、結果、占領後も自爆テロに悩まされることになった現在のアメリカの知的劣化は、目を覆うべきものだ)。つまり、「平和憲法」がアメリカに押し付けられたものだと言うのなら、「昭和天皇退位なしの天皇制存続」もまたアメリカに押し付けられたものだと言うべきなのだ。とはいえ、自由民主党が、戦争放棄・戦力不保持を定めた憲法9条の「改正」を狙っている中で、天皇制廃止のための改憲(1章の削除と書き換え)を提起するのは藪蛇であり、政治的に愚かであろう。したがって、原理的・長期的には日本も天皇制を廃止して共和国(アメリカやフランスより、さしずめドイツやイタリアのような大統領制にすれば、良かれ悪しかれ現状とそう変わらないのではないか)になるべきだけれど、実際的・短期的には9条改憲を阻止するため護憲の立場を取った方がいいというのが、私が高校時代にたどり着いた「大人の妥協」だった。しかし、明らかに9条に違反する自衛隊が国外でもさまざまな活動を展開するところまで来た現在、こうした妥協的護憲主義は限界に来ていると言うべきだろう。だとすれば、1章改憲と天皇制廃止をあらためて議題とする必要があるというのが、現在の私の意見である。

誤解を避けるために付け加えれば、天皇制への批判と天皇への批判は別だ。平成天皇(という呼称の方が明仁よりわかりやすいのでここではこの呼称を採用する。徳仁についても同様。ただこれはあくまで便宜上の判断で、「平成天皇・令和天皇というのは死後につけられる諡号だから生前に使うべきではない」という形式主義にまでは付き合わない)が、自然災害のたび被災者を慰問するとともに、父・昭和天皇の名で戦われた戦争の犠牲者(外国人も含む)のため、沖縄のひめゆりの塔(皇太子時代に昭和天皇の名代として初めて訪れ、過激派から火炎瓶を投げつけられたが動じなかった)からサイパンのバンザイ・クリフにいたる激戦地をめぐって「慰霊の旅」を続けてきたことは、国内外の多くの人々が高く評価するところであり、その点では私も例外ではない。
(https://realkyoto.jp/blog/asada_akira_190501/)

これは2019年5月の記事。
あと、ここも大事

別の角度から言うと、天皇制廃止は、むしろ、皇族解放(奴隷解放や被差別部落解放にならって言えば)――皇族に一般人並みの人権を与えることに他ならない。端的な例を挙げるなら、キャリア外交官として活躍していた小和田雅子が皇太子(後の令和天皇)と結婚して皇室に入って以来、長らく「適応障害」に苦しんできたことはよく知られている――というか、病名を含むプライヴァシーまで全国民の眼に晒されるということ自体、重要な地位にある公人でなければ普通は考えられないことだ。秋篠宮(新たに皇嗣となった)の長女の結婚問題にしても同様である。いや、時代が時代だけに比較にならないほどの覚悟をもって皇室に嫁いだ正田美智子さえ、感嘆すべき忍耐をもって、皇太子、そして天皇となった夫を総じて見事に支えてきたものの、「平民」からの入内に拒否感をもつ守旧派から長年バッシングを受けたと言われ、1963年に流産のあと3か月ほど一人で静養することを余儀無くされるとか、1993年から翌年にかけて精神的苦痛から声が出せなくなるとか、幾度かの深刻な危機を乗り越えてきたことを忘れてはならない。彼女らを含む皇族にも、一般人と同じ自由とプライヴァシーが与えられるべきなのだ。(新たな皇后に関しては、ストレスが増しても精神状態が悪化しないよう祈るばかりだが、それにしても「皇室外交」の最初の国賓がドナルド・トランプというのだから、運が悪いと言うほかはない。)

これは浅田彰の発言ではないかもしれないが、語のレベルで天皇=ナショナリズム・極右みたいにイメージされがちだが、実際には少なくとも平成以降の「皇族」の人たちは極右的な思想とは正反対にかなり「リベラル」であると。なるほどと思う。

あと、連想で言うと『戦後民主主義』(中公新書)では、安倍が「戦後レジーム」からの脱却とか言ってたのは、まさしく「戦後民主主義」をパラフレーズしたものなんだ、ということが言われていて、権力者にとって目障りなものを名前を変えてフタをしちゃう、っていうのはよくあることだよなあと思う。(安倍に明確にそういう意図があるかはともかく、「戦後民主主義からの脱却」なんて直接言ったら、「民主主義」って言葉が入っている以上「おいおい」と批判は免れない訳で、でもやりたかったことはまさに「戦後民主主義からの脱却」だ。)

Profile
滝鷹介 Taki Yosuke

1997年神奈川県生まれ。小説家。POLY LIFE STUDIOを主宰する。

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日記 definitive

(ほぼ)毎日更新。各回のサムネと1行目は、サブスクで新しいアルバムを聴くのは1日1枚までという自分ルールのもとでその日に選ばれたアルバム。

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