2026.06.19(FRI)
●Mac Miller(US)『Circles』(2020)
●死刑については、明確にというより、当たり前にダメに決まってるでしょという感じで、こういう話のときに、賛成か反対か立場を表明して話すみたいなディベート的な言説の形自体がとても窮屈で嫌いだ。
いつかちゃんと書くかもしれないのでここではそこまでつっこまないが、やっぱり端的にいくら人を殺したことが悪いことだとしても、「悪い人」なら殺していいというのはおかしい。(これは人によってはただの揚げ足とりに聞こえるかもしれないが)ここでおかしいと言うのは、死刑で人を殺してしまったら殺人した人と一緒だよという論理の順番もあるけど、逆に「悪い人」を殺していいのであれば、そもそも人が人を殺すことを「最も悪い(ことの一つ)」とみなす論理の正当性?みたいなものが揺らぐと思う。
といってももちろん、無実の人が殺されてしまうのと、国家が「正式に」死刑を執行(と言えば表現が和らぐが「殺して」いるのだ)するのは違うでしょ?という論理はもちろん理解はできる。が、殺人を犯してしまった人の命が他の人の命と比べて「軽い」とする(つまり殺されるのもやむをえない)のは違うと思う。
保坂和志が小説三部作(と呼ばれる小説論?の本がある)でカポーティの『冷血』を取り上げて、人を死刑にしてしまうことはその人のその後の、有り体に言えば「更生」になるのだろうが僕はもっと人が「善」に向かうことと言いたいが、とにかくそういう時間を奪ってしまう、ということを書いていて(書いていないかもしれない)、まずそれに強く影響を受けている。(僕は未読だが、そもそも『冷血』がそういう考えを誘発させる小説だろう。)
そしてそれ以上に強く影響を受けてるのがもう一つ。
死刑のこととなるとよく言われるのが、反対とか言うけど「あなたの大切な人が殺されても同じことが言えるのか?」というようなことで、つまり「遠い」こととして他人事で綺麗事を言ってるんだろう、ということだと思うけど、私は(簡単ではないが)はっきりと「言える」と言う。
マイケル・ムーアの映画に『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』といういかにも題名はふざけているがドキュメンタリーがあって、雑に言うとアメリカに問題が多いから他国を参考にしよう(盗もう)みたいな体でいくつかの国に取材に行く。その一つでノルウェーでは、死刑はなくもっとも重い罰で懲役21年であり、刑務所はリゾート風でとても快適で、看守は銃を持たず、また受刑者が自由に使えるキッチンには普通にナイフが置いてあったりする。(wikiより)
そういう北欧の刑務所がすごい、みたいなことはよく日本でもテレビで取材されたりしてると思うが、映画では、(確か子どもだったと思うが)家族を殺された夫婦がマイケル・ムーアにインタビューを受けていた。子どもを殺した犯人はもちろんその「快適な」刑務所にいる。マイケル・ムーアはインタビューの最後で「それでも、死刑には反対ですか?」だったか「それでも、このような刑務所のシステムには賛成ですか?」と聞いた。この質問自体が、ドキュメンタリー的(「見せ場」的)でどうかとも思うのだが、その夫婦は即答ではないが、「はい」と答えた。
今書いたように、情景も質問も回答者の性別さえ記憶としては曖昧なのだが、そこでの何かが私は決定的に(紋切り型の言い方だが)強く刻みつけらている。しかもはっきりとしないはずなのに「表情」として。それは映像や記憶、具体性を越え出ている。
(これは「正義」ではなく「善」の問題だと思う。)