2026.09.24(THU)
●EL-P(US)『Fantastic Damage』(2002)
●ようやくホームページを公開できた。いいねもインプレッションもない場所で文章を書けるというのは気分がすごくいい。
●Xでホームページの公開とともに投稿しようと思って(なぜか忘れたが)やめた文章↓
インターネットをバーチャル空間と形容?するのはありふれた表現ですが、ネットを見ていると、確かに遠い世界と接続されたり、あるいは知覚が拡張したような感覚になるのも確かです。
そして、小説を、生活の中で読むたびに前に読んでいたときの思考を再開できる、という仮想的な場や環境とする考えを前提として、スマホが当たり前になった現状を踏まえれば、紙の本→Kindle(電子書籍)→スマホ(スマホで読む文章)という経路によって、小説とネットを考えることは全く切断されているとは言い難いと思います。
が、Xやnoteというプラットフォームは、そのフォーマットによって書かされてしまうというよくある批判を持ち出す以前に、(小説を書くことで〈生〉が変形されるように)自身の〈生〉を変形されるには全然信用できない。「最近のXの雰囲気」のような「Xの内情」のことを批判する人は多くても「X自体」を批判する向きは弱くなってしまった。
Xが革新的なものではなく当たり前・ベタになった今、(あるいはみんなどこかでうんざりしてる今)インターネット黎明期のように自分でホームページ(忘れているが、ホーム=家だ)を作ることが、かえって「新しい」=アクチュアルであるように思いました。
ホームページという場を一から自分で作る。これは私が小説を自分で出版することと完全につながっています。
●いくら時代錯誤と言われようが、私はスマホやSNSが「悪い」ものだと思っている。でも誰だって電車で全員がスマホをいじってたり、親がスマホを見ていて子どもを軽無視したりしているのは見ていて楽しくないはずだ。そういう光景って、人間が知能だけ異様に高くなって頭が肥大して足腰が退化した未来人のイメージとかをみて気持ち悪いと思うのと同じSF的な不気味さがある。逆に言えば?SF的な想像力というのは、そういうことを感じさせる強度の強さがある。