2026.06.25(THU)
●Yazz Ahmed(UK)『Shinrin Yoku』(2026)
●『はんちか』でvol.1から手伝ってもらってる小林くんと久々に会って飲みに行った。リゾートバイトが終わって戻ってきて新宿のレコード屋でバイトを始めたとのことなので、新宿で飲んだ。昔のpopeyeで見つけた台湾料理屋がすごくよかった。席に着いた瞬間にサービスの紹興酒を二人に注いでくれた。好き〜〜。DUGがそろそろ閉まるから行っとこうと思ったら、閉まるのはもう明日で店の前に行列ができていて諦めた。田中小実昌のお孫さんがやっているレモンサワー専門のバーにいく。前にPINFUくんとも言ったけどいい店だ。
●東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)を引き続き読んでいて面白い。ギャルゲーとかライトノベルの構造分析みたいな話かと思ったら(それもあるが)、ちゃんと狭義の「文芸批評」としてアクチュアルだった。これが2007年で、年代順で「次」に面白くてアクチュアルだと思うのが、山本浩貴『新たな距離』(2024年)、町屋良平『小説の死後』シリーズ?(2024年〜)に時代が飛んでしまうのだが、この間で文芸批評でヤバいことが起きてる本ってあるのだろうか。(単純に批評に詳しくないから知らない。)保坂和志の小説3部作も単行本発売でいっても2008年になってゲーリアと同時期だし。と思って、偽日記の古谷さんの批評系の著作はまだ読んでないし、平倉圭も読みたいな。結構あるな。(文芸批評ではないか。)
とりあえずギャルゲーが「真面目に」論じられてるのが面白いが、それは俯瞰した揶揄ではなく、マルドロールちゃんが「通例のサブカル批評の視線そのものが論究対象と同じほどの愚かさに支えられていることの自覚」を「示唆」しているように(https://www.youtube.com/watch?v=1W2l_goV12A&t=259s )、やっぱりその直感的?な「愚かさ」の感覚それ自体も現象や時代性として考えるべき対象である気がする。要は昔だったら「偉大な」小説を批評している時は真面目な顔でそこに深遠な意味や「現実」を読み取ることに違和はなかったけど(つまり権威が生じてた)、サブカル批評ではやっぱり「軽い」ものを「真面目くさって」論究しているような見え方になる、ということ自体が何かなのではないか。
まあとにかく東浩紀の頭脳が明晰すぎる。