2026.08.23(SUN)
●Marc Moulin(Belgium)『Top Secret』(2001)
●あらゆる表現(に限らず)においてインディーズにいる人たちは、超雑に分けると2種類いる。インディーズという制約の少ない環境の良さに惹かれたりメジャーの環境への権威批判としてインディーズを選ぶ人、メジャーを志向しているが単に(まだ)今はインディーズにいる人、だ。当然、前者と後者ははっきり分けられるわけじゃなくて、前者を表明している人でも実際はいくらかメジャーにいきたい気持ちがある(前者の語彙で言うところの)「下心」があることもある。
インディーズにいる人は基本的には権威ではないから権威批判がしやすいし、というか一体になっている。何かのきっかけで「売れてしまった」ら、売れた後にその人を知った人からすれば「売れてる人」「人気のある人」としてすでに権威になる。(権威って強い言葉で言い過ぎじゃない?と思うかもしれないけど、実際例えばトークイベントなどで作家などとしゃべる機会があったら、普通の初対面の人へのマナーと別の質で敬語を使う、という人は少なくないはず。)「売れてる人」になれば政治家や資本家のような権威はともかく、同業には批判がしにくくなるのが普通だ。「売れてる人」が「村上春樹なんてクソだよ笑」と言うのは「普通の人」が言うのと全然違う。(単に影響力の問題で「普通の人」が言っても広まらない、というのももちろんある。)でも、「売れてる人」でも本来そういうことも言ったほうがいいんじゃないか?(少し有名になったり業界?に関わりを持ち始めた人が、明らかに急に周りに感謝し始めたり「良い人」になり始めたりするのをよく見る。なんかそれはとってもダサい。)
権威ではありつつも権威を払うような?いい見本はボブ・ディランだと思う。ディランの、どこかうさんくささがあり掴みどころがないキャラクターでありつつ、ノーベル賞の授賞式を欠席したりするような感じ。(何で読んだか全く忘れたが、ディランの代役?で歌を歌ったパティ・スミスをこき下ろした文章か何かを昔読んで笑った。)
●対象に対する認識の透明度?みたいなことを表す意味での解像度という言葉が、もう流行っているというのも違和感があるほど普通によく使われているが、表現をやっている身からすると、いやそんなこと言わなくても普通に私として、別になんでもものの見方の解像度が上がればいいとは全然思わない。それは解像度が低い方がいい、見えないところがある方がいい(神秘主義)ということではなくて、解像度が高い/低いという軸自体が微妙というか、もっと違うアプローチもあるよなあと思う。ただ、物事の見方や「真理」への考え方?として、今の時代に「本当らしさ」を感じる上では、解像度が高いということがとても重要とされている、ということではあると思う。ということはもちろんこれは表現の話にも直結するわけで、短絡していえば解像度が高いものが「面白い」と思われやすいということでもある。ファウンド・フッテージ型?のホラーなどが流行った(面白いと思う人が多かった)のもここに関わると思う。
●主にハラスメントやマイノリティに関わることについて、「今のご時世は/今はこういうこと言っちゃいけない」という言葉はよく使われるが、「今のご時世は/今は」は余計だ。これをいう人が経験的にハラスメントやマイノリティのことに無理解な人が多いということもあるが、「今」の強調によって、昔は許されていたことが不当に今は許されないというような含みがかなり強くなる。また、言葉の全体で言えば、自身の倫理や他者への気遣いではなく社会的なマナーによって非難されるから言わない方がいいというニュアンスもある。「相手をぶつのは相手が痛いからしない方がいい」ではなくて「人をぶつと先生や親に怒られるからしない」という風に。
いつも似たようなことを言っている気がするが、「言わない方がいいことを言わない」ということを発言することは気遣いでは全然なく、普段から言わないようにしているその態度全体がパフォーマティブに気遣いになるのだ。