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日記 definitive

2026.09.10

2026.05.09(SAT)

●The Last Poets(US)「The Last Poets」(1970)

●辻野たきさんがnoteで文フリで買った本についての記事を書いていて、そこで私の『はんちか』と『ワールド・オブ・エコー』について言及してくれていたので、それについて長いポストをする。noteで『はんちか』新刊をSTOREで販売開始したことと、送料と既刊の価格が安くなったことを告知する。文フリも終わってひと段落ということで、次にやることに向けて、Xとinstaのアプリをスマホから消す。休みの日にスマホの電源を切る、というのも久々?にやれて気持ちが落ち着く。

●何を見た/読んだのか忘れたが(多分、今読んでいる『闘争論』か)、商品の価値に(応じて?)価格がつけられるみたいな記述を見たときに、今の時代は(昔からか?)、明らかに人々の意識に「お金になる価値」と「お金にならない(本質的な)価値」みたいな両方があるなと思った。だから、「この映画は確かに面白いけど、売れなさそうだね」という言表が成り立つ。そもそも全ての「価値」を貨幣で測れないのは当たり前すぎるけど、その乖離具合は時代によったりで変わるはずで、私が念頭にあるのは、音楽のチャートで、60年代のイギリスではA面B面がそれぞれ20分くらいの1曲ずつしか入っていないプログレのアルバムが平気でチャートに入っていた一方で、ひと昔前の日本はakbグループがチャートを壊した、みたいなことだ。とはいえ、それは秋元康が音楽のチャートに他の「価値」を持ち込んだと言えるのかもしれないが、いや言えないか。明らかに握手券商法はCDや音源それ自体の「価値」はファンや購入者にとっても無に等しいし、かといってCDがなにかのシニフィアン?に転化してるわけでもない。それは単にたまたまCDという形をとったチケットだ。

現代アートでも価値や価格の問題はありそうだ。まず明らかに何億とかで売れているアートが全然良くなかったりする。それで、資本主義的な市場や価格の原理と芸術の価値は一緒ではない、というのは当たり前すぎるのだが、しかし問題は、そう言ったときに、実は芸術の方にも、芸術としての「価値」-数値化可能な量、という基準ないし軸があると暗に仮定してしまっている。それが市場の原理とたまたま「一致」しない、のであるかのように。そのように芸術のことについても商品-価値という構造?をかなり内面化してしまっている、ということを自覚する必要はありそうだ。多分それを意識しない・忘却するというのも無理な話で、なおかつ現状からして、それと付き合わざるを得ないわけで、だからその上でどうする?という話だ。

●古着、靴を買わなければという(ポジティブな)気持ちが強くなっている。

Profile
滝鷹介 Taki Yosuke

1997年神奈川県生まれ。小説家。POLY LIFE STUDIOを主宰する。

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日記 definitive

(ほぼ)毎日更新。各回のサムネと1行目は、サブスクで新しいアルバムを聴くのは1日1枚までという自分ルールのもとでその日に選ばれたアルバム。

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