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日記 definitive

2026.09.23

2026.05.28(THU)

●坂本龍一『L.O.L.』(2000)

●https://www.youtube.com/watch?v=M4i-2NZGc3U&t=1102s

login.jpは初期からずっと好きなチャンネルだ。DJがプレイしている動画をあげていて、海外向けな感じで日本のカルチャーの解説?が英語で毎回ついてて、何より撮ってる場所が八百屋とかお手前中の茶室、なんと言うのか知らないが弓道をやっているとこ、田んぼ、……と意味の分からないロケーションでやってる。でもまあある時期以降(多分、コロナくらい?)から、明らかにDJのプレイ動画は増えて(youtubeがAIで動画内に含まれる楽曲を自動で読み込んで、動画の収益が各楽曲の権利者にいくシステムができたのもあって)、特におしゃれな家とか景色のいい野外とか(クラブ以外)で撮影しているのが多くなったから、それのバリエーションという感じ。(この状況だと若い世代は、DJと言ったらそういうおしゃれな音楽をかける人たちで、クラブDJというイメージは全く持たない・知りえないかもしれない。)

それで最新回も豆腐屋で撮っているのだけど、今までの動画はただ異質な場所でDJをやっているという感じで(それも面白かったし、中には茶室の回は静かめなアンビエントで水滴の音が使われているような選曲とかもしていたけど)、基本的には場所と音楽のインタラクティブはなかったのに対して、今回は動画の最初に、豆腐を作っているところで出ている音をサンプラーでサンプリングしてそれをミックスに使っていたのが良かった。

それで途中で気になった曲をシャザムしたら、知らない坂本龍一のアルバムで、調べるとDreamcastのゲームのOSTだった。坂本龍一をゲームのサントラに使うの90年代だなあ(2000年だけど)と思うし、何よりJet Set Radioしかりドリキャスの音楽良すぎないか。あの時代のポリゴンと当時流行りのDnB系の音楽の相性が良すぎる。

●私の狭い観測範囲では、日記に日付を書くのに抵抗があるという人が一定数いる。なんとなくそれもわかる。これは彼・彼女らとは考えが違うかもしれないが、私であれば、日記に日付を書くとあまりにも(簡単に)日記として成立してしまう、と思ってしまう。山本浩貴の日記論でも言われているが、日付は〈優しいゲームルール〉として作用する。私はそれを『はんちか』のVol.2の「そう たぶん、Review」という座談会記事でも話したが、面白くない日記はあり得るが、(日付を書いている限り)日記になっていない日記は考えにくい。私はその辺に少し退屈さを確かに感じてしまうこともある。

では、なぜ私は日記に日付をつけているのか、といえばもちろん明確な理由はなくて、ある時期から毎日その日にやることを書くメモや、普段使うノートに最初に日付を書くようになったり、大学院生の時に毎日書いていた日記を、この日記の日付のような表記でタイトルをつけていたり、偽日記の影響であったり、青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』の冒頭に整理術の本から《必要なことは、日付を絶対に忘れずに記入しておくことだ。》と引用されているのがカッコ良すぎる、ということらは少なくとも影響していると思う。

一つ思ったのは、日付に抵抗がある人は、「その日の一日」という具体的で取り替え不可能な生きた時間が、「日付」という取り替え可能な無機質なデータ?に置換される・代表されるのに抵抗があるんじゃないかと思った。それでそこからさらに思ったことは、私が日記における日付についてはその考えと方向性が反対かもしれないということだった。

確かに現実の今現前していることとか抽象的な感情とかあらゆるものについて、それらを理系的な一般性に落とし込まれる(減縮する)のは、私の最も嫌いなことのひとつである(し、そもそも世間ではそういうこと(=法則性を見出すとか知ってるとか)は頭がいいとされているかもしれないが、私はアホだなあと単純に思う)。人間はタンパク質の塊に過ぎないなどとつまらない冗談を言う人も、単なるタンパク質の塊であればバラバラにして(=死んで)もいいとは思わないだろうし、恋愛は脳の神経・成分がどうのと言われても、今誰かを考えてうわ〜ってなる感じそれ自体とは全く関係がない。

でも、これは今はうまく言えないのだが、たとえばある樹木についてる葉っぱの枚数(そんなものが数えられるとして)とか、ある一羽の鳥の全長とか、ある亀が一日何時間くらい甲羅を天日干しして日向ぼっこしてるかとか、そういうのは一見無機質なデータであるようで、どちらかというと具体的で生きた何かの方なんじゃないかと思う。その感じ。そういう数値みたいなものがデータとして一般性を見出すとき(樹木についてる葉っぱの枚数・鳥の全長・亀の天日干しの時間の「平均」を計算するとか)その生きたところがなくなってしまう。

《かれら(科学者)は共同で仕事をし、ついで一年後や二年後なりに、自分たちが発見したなにかについての発表(コミュニケーション)をおこないます。そして、私が思うのに、「科学」においてなにかが台無しになってしまうのはそのときなのです。そしてそれは、かれらが自分の目で見、実験して確かめたことを、あとで口に言いあらわしたり文学的な形式をつかって表現したりするからなのです。彼らが自分たちがとげた前進なり自分たちの目で見た現実なりをあとで言葉で表そうとするとき、そこにはなにかがおこり、それらは完全に別のものにかわってしまうのです……》(保坂和志『小説の誕生』p41に引用されたゴダール『ゴダール全評論・全発言Ⅱ 1967–1985』の孫引き)

私にとって日記における日付というのは、無機質なデータではなく、いやむしろ無機質なこと=冷たい死んだものと私は思わないからまさに(ドゥルーズ=ガタリも無機的なもの生のイメージを多用した)、世界の側に属する生きた具体的な何かを指すものだと思っているのかもしれない。(もちろん暦を素朴に信じている?という前提のもとで、だが。)

●(特に日本で)タバコ(やドラッグ)への異様な忌避や嫌悪を、長年かけて周到に根深く人々の間に根付かせることが可能だったのであれば、もっとあらゆる個別の差別感情の解消とかの方にその力を使ってくれ、と思う。

●巨人の人の児童虐待がどうののニュースについて(例によって私は詳細は知らない)、バイト先の人たちが(もっと娘に対しての思いやりも言っていたが)「でもちょっとでも何かあったら児相に連絡したら警察に逮捕されちゃうって怖いですよねぇ」みたいなことを言っていた。(私の警察嫌いは今は関係ないので置いとくとして)それは権威(=父)側の意見だな、と思った。

私は(というか確実に若い人はみんな)、「最近は色々ハラスメントになっちゃうから怖いよ笑」みたいな冗談が嫌いだ。それはハラスメントで実際に困っている人が世の中にいるのに不謹慎だ、みたいなことではなくて(それもそうだが)、ハラスメントという、権威の構造を(ほとんど無自覚に)利用して下の立場の者に嫌がらせに値することを行う行為について、その人がその発言を堂々と冗談として言えることこそが、そのままそのハラスメントの構造や問題性の不理解を証明し露呈しているからだ。

ハラスメントについてはいつかまたしっかり書こうと思うが、簡単に言えば「上の人から下の人に言える(できる)けど逆は言えない(できない)こと」をすることは全て権威を利用したハラスメントだ。これは保坂和志が言った例だが、中学生の時に友達と歩いていたら、友達の方の部活の先輩とすれ違って、友達は近づいてきたその先輩に「お前、第二ボタン閉めろよ」と言われたという。普通、「先輩、ボタン閉めましょうよ」と逆の立場の後輩からは言えない。これが権力の行使、ハラスメントであえていうならパワハラだということだ。

ちなみにこの例では、後輩から先輩に「ボタン閉めましょうよ」と言えないというよりは言う必要がない。ボタンを閉めることは単に象徴の次元だから(帽子を脱がないと失礼、みたいな)、先輩はただ後輩を威圧しただけだ。あと、そもそも日本語では敬語があるということが嫌な感じだが。

で、話を戻すと今回の虐待の話に限らず、「若い人は何をするかわからない」みたいな発言は、特に親としての権威において、子どもは親の意に沿うことをするべきだというような権威の構造(の内面化)が透けて見える。虐待を現に受けている子どもたちは、(まず自分のされていることが異常であるという認識も持ちづらい事情もあるだろうし、性的なものになると愛の問題もあって深刻だ)児童相談所の存在を知らない場合も多いだろうし、名前くらいは知っていてもどういうものなのかということも十分にわかっていないことも多いだろう(周知の問題)。私は今回のニュースは、内容はすっ飛ばして(そもそも知らないし)、児童相談所ってそんなにすぐ行動してくれるのか、と今虐待を受けている人がその存在を知る、ポジティブな機会になればいいと思う。(一方で日常的に虐待がある家庭の食卓とかでこのニュースが親と子が揃っているところで流れたりすることを考えると、そのときの子どもの複雑な感情を想像して苦しくなりもする。)

ただ、もしこれ以降、実際に児相への相談が増えた場合に、権威追従的な今のメディアがそれを肯定的に報道するイメージが全くできない。今回の件と絡めて、ごくごく少数の軽いケースを取り上げて、こういう困った通報が増えると困りますねえみたいなテンションで、弱い立場の方を抑圧するのが目にうかぶ。

私は野球が嫌いだが(正確に言うとスポーツとしてではなくプロ野球を取り巻く雰囲気の全体)、すぐに何万という署名が集まったというのを聞いて、なんかすごく嫌だなあと思った。野球に限らず、スポーツ全般においての熱狂は戦争とほとんど同じだと思う。これは結構真面目に。(だから、冬季のハーフパイプみたいな個人種目はその感じが希薄で(ストリート発のスポーツということもあるだろう)好きだ。)

Profile
滝鷹介 Taki Yosuke

1997年神奈川県生まれ。小説家。POLY LIFE STUDIOを主宰する。

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日記 definitive

(ほぼ)毎日更新。各回のサムネと1行目は、サブスクで新しいアルバムを聴くのは1日1枚までという自分ルールのもとでその日に選ばれたアルバム。

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