2026.07.15(WED)
●baobab『かぜつちうた』(2024)
●一昨日の日記で、最近はバイト帰りの電車ですごく集中して本を読めると書いたが。そもそも「移動」という状況?動詞?は結構特殊なんじゃないかと思い始めた。
ここで考えてる「移動」は歩いたり自転車に乗ったり車を運転したりという「能動的」に行為するパターンではなくて、電車やバスなどに乗ってるときの、乗っているだけで「受動的」に目的地に向かうという行為に成功しているパターンの方だ。
今「乗っているだけ」と言ったように、電車に乗るのは一回だけ「電車の車両の中に入る」という行為をすれば、あとは原理的には?本当に何をしていてもいい。表現としては「移動している」ことになるわけだが、行為者はただ「身体を動く乗り物に乗せている」だけで、身体だけで言えば、電車によって「移動させられている」だけだ。能動性が発揮されたのは「電車の車両の中に入る」瞬間だけだ。(もちろんいつでも電車を降りて「中止」することはできる。)
私は移動しているが、自分で移動しているのではなくて、電車に私の身体が移動させられている、がそれでも「移動する」と言うのであれば行為主体は一応は私ということになるが、私は移動している今この瞬間「移動する」ために何も行っていない。
今気づいたが、「〇〇する」「〇〇した」のは「私」と言えるが、「〇〇している」のはいつも私の「身体」ではないか?
●これ知らなかったけどすごくおいしい。

●前の日記に、地元の図書館がしょぼいとチラッと書いたのだけど、調べてたら国会図書館のアーカイブ?に接続して、その資料を「印刷」もできる、と始めて知った。(知ってる人からしたら当たり前だし、どこの図書館でも分館とかじゃなきゃできるんだろうけど。)
今まで、例えば『現代思想』の昔の号の1つの論文だけ読みたいな、という時に市の図書館の在庫を見ても、取扱ないから無理なんだな、と思ってたけど、これがあればコピーまでできるのか。それはいい。