2026.09.04(FRI)
●Macintosh Plus(US, Vektroid別名義)『Floral Shoppe』(2011)
●明日のイベントのための資料を出力してまとめる。なかなか良くできたはず、時間内で終わればいいけど。家のコピー機でも、白黒で文字原稿ならかなりきれいに出力できる。けど、コピーは問題ないが、パソコンからpdfを出力するときは、印刷設定とpdfへの書き出しの設定が微妙だと文字がかすれたりする。めんどい。
●実家の犬2ひき、兄弟(オスとメスだがどっちが兄姉かはわからない)、は一緒に遊ぶしじゃれ合うけど、そんなに頻繁にコミュニケーション?をとっているわけではないように思う、それでも、片方が寝ているところに近寄っていってくっついて寝たりする。
●すごく雑にいうと、フェミニズム的主張は当事者である女性が発信・発言しやすいが、学歴主義批判は学歴がないとされてしまう側(利益・権威を得る側ではないという意味で、マイノリティ側)の方が言いにくい。(「ひがみだろ」みたいに言われかねない。)この違いは何だ。
(学歴主義を「批判する」というあり方が「学歴のあるお偉い先生」的な行為だからというのはある。)
●斎藤幸平とかが脱成長とか言って頑張ったりしてたりはするのだが、これだけ気候変動が目に見えてやばいことになっているのに、政府とかの発信はおろかメディアでも、昔のエコという言葉の「流行」したときみたいに、地球環境を考えてこういうことをするとよいみたいな発信がもう全然なくなった。ニュースで気候変動で被害のあったところを報道して「昨今の気候変動は深刻ですね、、、」みたいな絶望的な雰囲気になって次のニュースにいく、みたいな。
まあ確かにその流れで、ミクロな「こちら側」の生活に視線を返して、地球のためにできることをやりましょうとか言われたら少し場違いな感じになるかもしれないが(「今緊急で被災している人がいてそんなこと言ってる場合か!」的な?)。いや、本当にそうなのか、こんなのはテレビのマスメディア批判として死ぬほど言われてるだろうが、やっぱり辛いニュースが流れているのを見つつも、「こちら側」に干渉されないことの安心、非対称性のもとで遠回しに結局は他人事にしているだけではないか、とも思う。(地球のことは他人事じゃない、というのはうさんくさい言い回しかもしれないが、が、しかし、やっぱりミクロの被害に呆気を取られ続けて?マクロの地球環境のことを考えられなくなっているのはジリ貧すぎるというか。大体、前者は悲しいが、後者は前向きに発信できるはずだ。)
(そもそも、テレビとかに「地球のために〇〇しましょう」と言われるのはもちろん絶対にいやだ、だし、構造として?問題もある。けど、腐ってもメディアなんだから「倫理的な情報提供」はできるはずでしょ、と思う。)
●私が生まれる前を経験できないが、親やビートルズを通じて私が生まれる前を生きることはできる。