2026.10.17(SAT)
●いよわ『ねむるピンクノイズ』(2019)
●電車の広告で、スマホで撮影した写真を200円で証明写真用に印刷できるという広告があった。証明写真と想像してとられるあの証明写真、無表情で背景がなくて無難な服を着て、というそれはそれぞれの要素に強い意味があるわけじゃなくて、「こうすることになってる」があることによって、履歴書などを確認するときに、最低限(とされる)「こうすることになってる」ができるかによって人を足切りするためにある。で、無表情で背景がなくて無難な服を着て、という要素を満たすだけなら、スマホで撮ってもいいはずだ、若い人はバイトくらいならみんな撮ってる。公的なショウメイショは生まれた日と名前と証明写真が載っている、その人をidentifyするのに顔面の画像を使うのは暴力そのものだ。
●私がノートを取ったり居眠りしていたりしていたときに、美大にいた人は絵を描いたり映画を撮ったりダンスをしたり小説を書いていたりしたというのはいいなあ。
●〇〇の歴史・批評はいつか誰かが書かないといけない、みたいな言説は全然共感できないが、私は私としてボーカロイドのことについて出力したいと思うようになってきて、まずはDJをやるときにボーカロイドの曲も並列して選曲するなど。
●n-buna「夜明けと蛍」。こういうミニマルな曲は好きだ。最初このギターがずっと続くので、ギター苦手な人なのかと思ったら、ギターソロは上手かった。サビでもカタルシスにならないのがいい。調べたらヨルシカの人の曲らしかった。
Cメロ?でかなり人間の歌声に近づいた調教で歌う。初期のボカロPがボカロに惹かれたのは、テクノロジーへの興味と(主に男性の)ボカロPが自分で歌わなくていいという革新によってだった。人間でない声に特別興味があったというわけではないはずだ。少なくともリスナーは人間の声に近い=調教が上手い=良い評価だった。(もちろん人間の声に「できない」方面として、極端に早口の歌詞や高音域の歌唱はシーンの最初期からみられた。)でもボーカロイドの声はどこまでいっても人間の声たりえない、写真や絵画が風景そのものたりえないのと一緒、必ずしも風景やモチーフの方が写真や絵画に価値やアウラ?を供給するわけじゃなくて、逆だってすごくある。夕焼けがただただ「視覚的」にきれいだから感動するんじゃなくて、夕焼けを表象してきた表現やカルチャーによってももたらされる。