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日記 definitive

2026.09.23

2026.07.23(THU)

●Sparklmami(US)『in this body』(2026)

●昨日の日記であらゐけいいちのユリイカだどうのと書いたが、そもそもユリイカの特集の選定基準ってなんなんだろう。まず、私が言いたいのは一貫性がないとかそういうことではない。いや明確に言いたいことなんてないのだが。とにかく、『現代思想』はもっとハードめでアカデミックな「思想」の特集を毎回やっているのに対して、ユリイカはもうちょっとソフトなカルチャー寄りかつ個人の作家の特集が多いとは言える。(『現代思想』と比較することは、青土社がHPの企業ロゴの横に、ユリイカ/現代思想と並べて書いてるくらいなので、当社の二大看板雑誌として正当だろう。)ただ、現代思想で個人が特集されることもある。大体は思想家なのだが、安部公房、ラフカディオハーン、カフカなど文学の人もいる。ユリイカで同じ文学方面として、綿谷りさ、金原ひとみ、追悼で大江健三郎をとり上げていることから、おおよそ20世紀までの死後評価が固まっている作家が現代思想の範疇なのかと思いきや、ユリイカでエゴン・シーレや牧野富太郎の特集などもある。しかもその二つはその時期にエゴン・シーレ展があったり、牧野富太郎が朝ドラで取り上げられたりと結構軽い理由のチョイスだったりする。よくも悪くもユリイカの特集は節操がない、と思う。

少し前に原口沙輔がユリイカの特集になったときに「え、もうユリイカか」と思った。特集で取り上げられた他の作家に比べて、単純な彼のキャリアや年齢でいうとかなり早い、ということである。一方で、音楽好き?にとっては別に原口沙輔は前から注目されていたし、いかにもユリイカに取り上げられそうな雰囲気(雑だ)もあるし、そんなに意外でもない。けどそれこそがちょっとモヤモヤするところで、なんというかまずユリイカは当然音楽誌じゃないから、音楽の業界から半分「外」である。音楽の業界?や音楽好きにとっては、「カルチャーを難しく論じる雑誌」みたいな印象だと思う。でも、どっちのこともなんとなく分かる(つもりでいる)私からすると、原口沙輔は、私が「そんなに意外でもない」と感じたようにすでに評価がされているし、それを取り上げるのは「批評」なのか?と思ってしまう。(ユリイカが「批評」を目指していないと言うなら、すんませんだが。)

そこで念頭にあるのはやっぱり前にも取り上げた古谷さんの偽日記だ。
https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2026/07/06/000000

たとえば村上春樹の作品については、それを肯定しようが否定しようが、「それについて語ることに意味がある(「それ」は取り上げるに値する)」という前提が社会的に出来上がってしまっている。あるいは、ある特定の社会問題や政治的な主張を含むものは、その是非はともかく、その時点で「それについて語る意味がある」ことになってしまう。それについて語ることの根拠が(実際に語るよりも前に)保証されてしまっている。そういうものについてしか語らないものは、ぼくは批評とは考えない。それについて語ることに意味があるのかないのか、実際に語ってみなければわからない対象について、「これについて語ることに意味がある」と、実際に語ることを通して主張するものが(ぼくにとっての)「批評」であり、だから、すでに有名であるヒットコンテンツや、重要な賞の受賞作品、あるいは歴史的な評価のある作家や作品について、「(「視点」はさまざまにあり得るが)今までになかった新しい視点から面白いことを言う」というようなことしかしないものは(ぼくにとっては)批評ではない。あるいは、アカデミズムによって認知された「(目新しい)理論」を用いて作品を解析する、というのものも「批評」とは思えない

要は、ユリイカはは原口沙輔というすでに「これについて語ることに意味がある」対象を批評しているのではないかということだ。で、ここで私が思うのは、別に最初から音楽誌が音楽家である原口沙輔を取り上げるのは自然だし、音楽好きがインタビューや新譜の情報などを知りたいと思うのは普通だから全く構わないと思う。だけど、さっきユリイカは音楽の世界の半分「外」であるといったように、それを総合芸術誌(wikiの表記より)であるユリイカが取り上げることで、音楽側の人は「お、原口沙輔が難しい雑誌であるユリイカに載ったかあ」となるし、ユリイカ=批評好きの人からしたら「へえ、(あんまり)知らなかったけど原口沙輔ってのが今すごいのかあ」となる。(もちろん、ここで新しい交通が起こる、とも言える。がここについてもあとで言う。)これの何がまずいのだと言われると説明しづらいのだけど(いや、大してまずくはないのだが)、音楽–批評という2つの界隈間で、お互いがお互いのよく知らない部分を相手に仮託し権威をそこから供給してる?みたいに私には見える。

なんかそこに偽日記の引用で言うところの「批評」はあるのかなと思ってしまう。(もちろん古谷=滝的なその批評感はひとつの考えだし、そもそもミスリードしてしまっているが、古谷さんはそうじゃない批評にも意味があると思うと言っている。念の為。)
加えて、これも補足しておくと、私は原口沙輔の音楽は大好きだしMVのインディーさも「やられた!」と衝撃を受けた。例としてあげただけだ。さらにさらに、ここまで言ったことは他のジャンルの作家の特集についても全く同様である。(ほとんど読者やジャンルとして隣接してる小説家の特集はちょっとまた違うが。)

●加えて、これはユリイカdisとかでなく言うが、ユリイカ買った上で本当にちゃんと記事みんなが読んでるのか?問題もある。簡単に言うと、ある程度権威のある『ユリイカ』という雑誌で取り上げられたという事実が、もうすでにその作家を評価するというパフォーマティブな行為として完結してしまっているのではないか、というか。(これはユリイカ側の問題ではないと思うが。)

購入して本当に読んでる問題?は文フリの同人誌についてとか色んなとこで言われる問題?だ。けど、ちょっとユリイカとレイヤーが違うか。

●そう、あとはこれは他の文芸系の雑誌でも同じことで、たとえば音楽系の特集をやるときに(追悼特集とかが想像しやすい)、普段文章を書いたりしない音楽側の人を呼んで文章を書いてもらったり、インタビューしたり、対談したり、ということがある。これも一応、言語表現と他ジャンルの交流とも言えるけど、こういうのは一回きりで持続したものじゃない。それ以外で、言語表現と他ジャンルが持続して交流や制作ができるとしたらどのようなことができるか、というのはPOLY LIFE STUDIOの関心のひとつでもある。

Profile
滝鷹介 Taki Yosuke

1997年神奈川県生まれ。小説家。POLY LIFE STUDIOを主宰する。

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(ほぼ)毎日更新。各回のサムネと1行目は、サブスクで新しいアルバムを聴くのは1日1枚までという自分ルールのもとでその日に選ばれたアルバム。

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