2026.08.14(FRI)
●J Foerster / N Kramer(Germany)『Habitat』(2021)
●最近、制汗シートみたいなのの名前に-5°Cとついてるのをよく見るが、ふとこれが相対的な温度(今の体感から5°C低く)ということを表してるとハッとした。別にちゃんと考えたことはなかったが、無意識に絶対的な温度(摂氏-5度)を想定してて、過剰なネーミングだなと思うこともなく思っていた。
●youtubeにあがっているレヴィナスのドキュメンタリーを見ていたら、ブラジルか分からないが大きいキリストの立像が映った時に、実家の犬の1匹がそれに向かって吠えた。子供の頃に飼っていた犬はテレビに吠えることはなかった。見ることすらしなかった。
●同じドキュメンタリーでレヴィナスが「〈不在〉の神に祈る」というようなことを言っていた。なんとなくで聞いていれば、「もういない」神に祈ることを想像してしまうが、〈不在〉の神は〈不在〉なのだから、祈りの対象になりえない。つまり、素朴にはこの文は矛盾している。が、矛盾していないし、それでも祈る。単純に言えば否定神学的にどう対象化しても「届かない」(逃れていく)ものとしての神(ハイデガーにおける〈存在〉)ということだが、本当にそれだけか。(もちろん、レヴィナスはユダヤ人だから、偶像崇拝できないという含意もある。)
そもそも、私の言っているのは「非在」(そんな言葉があるとして)であって「不在」ではないのだろうか。
●日記についての本を読んでいて(この本は全然ダメだった)、失恋や近い人の不幸など辛いことがあった時のことを日記に書きZINEがよくあるらしい。日記にケアの側面があるのは自分の実感としてもあるし重要な点だと思うが、それをZINEとして制作・公開することは少し意味が変わってくる。今の私の感覚では、それはSNSに公開するのとどの程度違うのかあまり分からない。失意を日記として公開して気が楽になるのはその過去を「手放した」からではないか。