2026.09.30(WED)
●정수민(Jung Sumin, South Korea)『잔해(Remnants)』(2025)
●『未明の闘争』を読んでて、小学生が声をかけられて逃げるみたいなシーンがあって、子どもはもうずっと学校で知らない大人に声をかけられてもついていっちゃいけないと教育される。これは誘拐するような本当にヤバい人のリスクを回避するためでもちろんあるけど、こういう教育が何十年も続くと、街で会った知らない人どうしは当然喋らない社会が(現に)できるよなと思う。田舎のご近所さん的な「暖かい」コミュニティへの回帰というより(それも別にいいけど)、街や社会に出ても、自分の選んだ学校に行って、自分の選んだ会社で働いて、とやっていったら外部がなくなって、無駄に新自由主義的な自分で人生を選んできたという謎のプライドと排他主義ができてしまう気がする(つまり、私の今までのコミュニティにいなかった奴は街で見るとしても「別の世界」のやつだ、と)。これはこじつけか論理の短絡か。いや、他の面でいえば、最もヤバい可能性のために生活全般が抑圧されるという、私の嫌いなリスク管理社会的な方法も少し問題があって、そもそも子供をしゃべらせないような通学路では友だちと親以外には「個」であることを強いるような社会になってしまったから、密なコミュニティ的な自浄的な?セキュリティみたいなものが機能してないことに問題があるようにも思う。とはいえ、密なコミュニティは今は多くの人にとってはかえって息苦しいものであるし、疎や密という概念はコロナで人々の意識や構造そのものも変わった。
NTSのエチオピアのシンセサイザーの音楽のプレイリストを聞いた。どれかの曲でPSくらいの時代のゲームのBGMの音の質感そっくりな曲があって面白かった。通俗的にいえばそれは音質が「悪い」と言われてしまうわけだけど、〇〇coreやY2K的なものの流行を通過した今では自明なように、そうではなくて単に質が違うだけなのだ。